こんにちは。「品川区民とつくる未来」代表の、新井さとこです。
今年の夏も終わりが近づき、ふと気がつくと、私がこの品川の地に越してきてから、20年の月日が経っていました。
子どもの成長を見守り、日々の買い物で商店街の方と挨拶を交わし、春には目黒川の桜に心を躍らせる。そんな当たり前の毎日が、私にとっては何物にも代えがたい宝物です。
20年も住んでいると、すっかり「地元」という顔をしていますが、先日ふと思ったのです。
「毎日当たり前のように呼んでいる『品川』という名前に、どんな意味が込められているんだろう?」と。
今日は、長年の感謝を込めて調べた、私たちの町の素敵な名前の由来についてお話しさせてください。
名前のヒントは、あの身近な「川」にありました
色々な説があるようですが、最も有力なのは、私たちの暮らしにも馴染み深い「目黒川」がそのルーツだという説です。
驚かれるかもしれませんが、この目黒川の下流部分は、昔「品川(しながわ)」と呼ばれていたそうなんです。
ではなぜ、その下流部の川の名前が「品川」と呼ばれたのか。
その理由は、この土地が持つ歴史を思うと、胸が熱くなるようなものでした。
その昔、このあたりは江戸の玄関口として、大変な賑わいを見せる港町であり、宿場町でした。全国から様々な「品(しな)」物が船で運ばれ、この「川(がわ)」を通って江戸中へと届けられていったのです。
つまり「品川」とは、人々の暮らしを支える大切な品々が行き交う、活気あふれる川。
その名前は、日本の大動脈として、経済と文化を支えてきたこの街の誇そのものだったのですね。
ちょっと面白い「品川駅」の豆知識
そして、この話には面白い”おまけ”があるんです!
皆さんも一度は「あれ?」と思ったことがあるかもしれませんが、実は「品川駅」は品川区ではなく、お隣の港区にあります。
これも歴史を紐解くと納得で、明治時代に鉄道を作るとき、本来の宿場町「品川宿」の近くに駅を作りたかったのですが、住民の反対などもあり、少し離れた高輪の地に駅が作られました。
ただ、名前は江戸時代から続く有名な「品川」の名を借りたため、駅の住所と名前が少しずれている、というわけです。なんだか歴史のドラマを感じますよね。
この街の物語を、未来へ
20年前、私がこの街に住み始めた頃に比べて、景色は大きく変わりました。新しいビルが建ち、街はますます発展しています。
でも、その根底には、多くの「品」と「人」が行き交った歴史が、今も脈々と受け継がれているのだと感じます。この街の由来を知ってから、毎日渡る橋の上から見る川の流れが、少し違って見えるようになりました。
先人たちが築き上げた活気を、今を生きる私たちが受け継ぎ、そして未来の子どもたちへと繋いでいく。
「品川」。
この素敵な名前を持つ街に住んでいることを、私は改めて誇りに思います。
皆さんも、次に街を歩くとき、少しだけその歴史に思いを馳せてみませんか?
きっと、いつもの景色がもっと愛おしくなるはずです。
品川区民とつくる未来 代表 新井さとこ
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